いばしょ

自殺した人に想いを馳せる
特に、その原因が居場所の有無に合った人たちのことを。

僕は今、夢を追っている。
週刊少年ジャンプの作家になることだ。
これについて応援してくれることは少なくない。

僕は今、優しい人に囲まれている。
職場、属しているコミュニティ、他に出会った人たち。
少なからず居場所がないわけではない。
そんな僕でも、居場所を感じなくなることが無いわけではない。
そんな時に1人になることが多い。
この1人の時間も別段自分の居場所だとか、居心地がいいわけでもなく、むしろ人間関係において何も起きない虚空の広がりが、凄絶なほどにいたたまれず、堪らず救いを求めたくなる。

いつだってここだって思える居場所。
在学中は、中心にいる目立った人たちの周りに人が集まることが多い。
まるで引力を持つブラックホールで、そこに引き寄せられている人たちは引力を持たず、流れに身を任せる。
ほかの小惑星には見向きもしない。
話しても社交辞令のつぎはぎのような会話、その果てに残った不完全燃焼の燃えかすは、結局赤の他人、疎遠への橋渡し。
中心にいる奴らにも僕は話したいと思えなかったが、周囲は彼らに好意を抱いていたのだろうか。

結果、消去法で長く一緒にいれば親友だ、共にした時間や経験がモノを言う。
そう信じたが、案外そうでもなかった。
何年もいれば、そいつのことが少し分かるけど、その分嫌なところも見える。
その灰汁を、ここが居場所だからと救い上げずに僕は笑った。苦虫を噛み潰して。

そんな歪んだ価値観を持った僕だが、不器用なりに器用な振りして生きていたのか、えげつない運命にあったことはない。
いじめや家庭内暴力や他諸問題。

学校や家は、未成年だったら大抵居ざるを得ないかもしれない。
少しは耐えていようと思うかもしれない。
自分で対処療法を考えて、自分を守り通すことを考えるかもしれない。
自己防衛の甘さや自分のせいにして、時々環境への恨み言を言うにとどめるかもしれない。
身近な人に相談するかもしれない。
相手にしてくれないかもしれない。
ひたすら無闇に傷つけられるかもしれない。
傷つけられることもだけど、実はそれよりも当たり前に傷つけられる現実に傷つくかもしれない。

八方塞がりの空間でいつまでも嬲られる自覚をさせられるから

抜け出し方がわからないから、地獄がマシと本気で思うかもしれない

人間だから人間がいないと生きていけない

これが時に、非道なルールに思える。
人間的に、経済的に、精神的に、営み的に、社会的に…なんでもいいが、人間は1人では生きていけないのだ、なんて説教垂れる人には虫唾が走る。

わかってる、その上でルールに沿えば苦しい、沿わなくても苦しく思える。
でも、選択すら出来ずに、逃げ方も選べずに嬲られ続けた挙句、誰かにとっての光明が死だけだった。

自分も酷いいじめや家庭内暴力があったら生きていたのか自信がない。
そんなことを考えていた。

僕にとっての鬼は、今のところ見当たらない。
それはまだ朗報で、命綱かもしれない。
居場所は今日も見当たらない。
仕事にも、どこかのコミュニティにも、ネットにも、1人の時間にも、夢や目標にさえ見失うかもしれない。

今、唯一ギリギリ胸を張って言える居場所のようなものは、自分の描く物語かもしれない。

誰かの作品にすがっても、消費して終わりや自分の描く物語の礎になればいい程度の感覚だ。

生きてる間に見出せるのか

今日も僕は居心地の悪さを奥歯につまらせて夢を見る

明日にはきっと居場所がないなんて忘れている。

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