47都道府県各地で手持ち花火をして、似顔絵を描いて廻るヒッチハイク旅 20日目
20日目見聞録
Aは変わったやつだった。
酒を飲み、アップルジュースを飲み、コーヒーを飲んで大の字でお互い寝転がり、消灯。
しかし、Aは思わぬ提案を持ちかけた。 『拓朗は、スマブラできる?』 ちなみに、その日にゲームの話は片時も出ず、消灯して、2分ほど経ってからの言葉である。
完全にまぶたは閉じてるし、夜の帳は降りている。 『結構できる』
事実、僕は物心ついた時から、初代64のスマブラから屈強な兄と無骨な兄に叩き上げられた男である。それなりにスマブラは出来る。 結果、めちゃくちゃぼこぼこにされた。
後日出会うAの弟曰く、『Aはサンドバッグを求めている。僕はいつもボロボロだった』
そういった弟の姿は、伝説のチャンピオンのかつてを語るアマチュアボクサーのようだった。 夜が明けた。
8月23日 20日目
前日に花火をするはずが、夜も遅く、体調も芳しくなかったので、23日にすることにしていた。実態はただの幸せな食べ過ぎだ。
だから、花火をする面持ちではなかったので、油そばの存在をお腹と頭から1度離して翌日の23日に決行することにした。 近所のパン屋さんで、またご馳走になり、自由に持ち帰っていいパンの耳を、後生大事に持つ間も無く、翌日まで腹をつなぐことに役立たせた。 Aと連れ立った近くの公園は、あまり花火は歓迎されなさそうな空気感で、『さっと見て、サッと終わらせよう』手持ち花火職人である僕は意を決して、そういった。
案の定、おじさんがやってきて、注意したそうにこっちを見ていた。
否、注意された。
20歳の男2人が、昼間から花火しておじさんに注意されるってんだから目も当てられない。
方や週刊少年ジャンプの作家に、方やアーティストになるってんだから、このダサさもいずれは語り草、酒の肴になること必至だ。 最寄駅まで見送ってくれたAは、最初から最後まで、スマブラ以外は完全にもてなしてくれた。心から感謝するし、その後、上京する際にも多大に世話をかけた。
別れ際に、似顔絵を描いて渡した。
名も無き漫画家の可能性を信じてくれた。
また一つ、闘う理由が生まれた。 そして、上野公園へ。
似顔絵を描く、そうTwitterでつぶやいた。
案外、勇気がいるもので、1日で声をかけた人数は1人。振るわなかった。
こういう日は、大抵人間観察で1日が終わる。
しかし、言っちゃたものは言っちゃった。やると言ったら本当にやるのが僕です。
翌日まで、アディショナルタイムが発生した。
8月24日 21日目
結果から言うと、3組の方に似顔絵を描かせていただき、200円、600円、600円、計1400円を似顔絵で金銭のやりとりをした。
この金額は、僕がバイトで1時間いたら受け取ることができる金額だ。
だけど、正面からお客さんと向き合って、その場で受け取ったお金は別物に見えた。
内2組は中国人観光客の家族連れの方達と、熱々のカップルだった。
もう1組のSさんとは、旅の最中に金沢でもう一度出会い、とんだもなくお世話になり、旅で出会った尊敬する大人の1人であった。乗せてくださった方以外の出会いにも、かなりフレキシブルなものが沢山あって、それも旅をして良かったと感じることの一つだ。
本当は、上野公園で金銭のやり取りをする似顔絵描き、引いては金銭のやり取りがなくても、管理所の方がそれをよしとせずに咎めるので、やることを考えた猛者はお気をつけください。
僕はいい出会いや経験を得たので、きっともうやらないです。集客、生のお金のやり取り、既存の給料形態以外での稼ぎ方ができたことが面白かった。
ただ、似顔絵を描くこと自体はめちゃくちゃ楽しかったので、これからも適当なところで出来るといいな。 当時、似顔絵を描いて、クラファンで支援を集めて、生きていけるのか実験をしていたのだが、無理だった。
きっと、可能になる時は、知名度や人気が出た時で、それは、他に道があるということに他ならない。似顔絵、クラファンで生きる選択をする必要がないのだ。
だけど、いずれ無意味だからこそやってみるのも面白そうだ。
この晩に、スカイツリーの下まで歩いて行って、似顔絵を描こうと画策したが、幸せそうなみんなの時間に割って入ろうとは思えず、100円ローソンで少しのパンを手に入れて、大人しく近くのICへ向かった。 雨が降り始めた。
偶然IC前にトンネルが連なっていたので、雨宿り、トンネル内の歩道でお得意のバックパックを枕にして眠気が襲えば寝て、目が覚めたらヒッチハイクをした。
そうして、僕の8月25日を迎えた。
8月25日 22日目
太陽が姿を現して少ししてからヒッチハイクが成功した。
趣味で狩猟をする方だった。