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メイドインアビスやデジモンの劇場版は、天気の子や君の名は、ディズニーやジブリのような大ヒットにはなり得ないかもしれない

けれど、それは設計上その作品においてベストなターゲット層の幅の違いによって生まれるものだと感じる

そこに貴賎はなく、それら名作に劣らない確かな熱量を僕は感じた。

昨日、人生初めて2作の映画を立て続けに映画館で視聴した。
メイドインアビスとデジモンだ。
メイドインアビスは、映画化を知らずに最近Amazonプライムで見終えたアニメで、なにかの縁を感じて視聴を決めた。
デジモンも、この頃作品を漁っていたアニメの一つだ。
2つとも泣ける。
ただ、二つとも意識的か無意識的か、ターゲットを絞っているように感じた。
メイドインアビスの敵はえげつないこと考えるし、デジモンは知らない人に刺さる映画かはうまく言えない。
2つとも元々知ってる人向けのように感じた。
ただ、両作品もメッセージ性に富んでいて、知らなくても楽しめそうではある。

アビスでは、外の世界には辛いこともあるけれど、旅立つことが沢山の発見や活路を示してくれ、思い出や仲間の素敵さを感じた。
あの残酷すぎる世界では、子供らしい冒険への無邪気さが希望に思える。
現実を知ったような青年、中年が主要キャラではあの味は出せないだろう。
メイドインアビスという独自のジャンルに思えた。
グロさは表現の一つであって、面白みではない。
調味料の一つであってメインの肉にはなり得ない。
きっとそれのみを求める者は、調味料を晩飯にする偏食家だ。
この肉に合う調味料がグロさなのかもしれない。

デジモンでは、誰だって大人になる。デジタルモンスターは思い出の実体化に思えた。
思い出と離れたくない、大人になんてなりたくない
そう思うこともあるだろうけど、自身の成長が何よりも思い出の喜びとなる。
思い出はずっと一緒だ。
だから、可能性を閉ざすことなく、前へ進め
そう言われた気がした。
デジモンは唯一無二のコンテンツだと認識を改めて抱いた。
ポケモンには出せない魅力がこれでもかと詰まっている。
無論、ポケモンは素晴らしい。

最大の違いは、現実世界との親和性だろう。
デジタルを題材に使った物語だから、現実のテクノロジーが進化すれば、作品の中でも同様の変化をもたらすことで、現実と地続きのような、デジモンが存在するパラレルワールドのように感じられる。
デジモンとのパートナー関係の終わりが大人になること、少年時代の終わりと同義。
あの虚しさの先には、取り止めもない不安があるように思える。
けれど、その先の可能性を開くのは自分次第で、少年時代の思い出はずっと記憶の中、傍で支え、見守ってくれる。
だからこそ、時を進めることがデジモンアドベンチャーのピリオドを打つトリガーとなる。
それは、この作品の完成を意味する。
有限がテーマだから、最後のアンサーを示さなければいけない。
あれは少年の物語で、あの無差別的な可能性に満ちたキラキラな時間が、永遠にあることは明らかな間違いだからだ。
故に、ぜんっぜん蛇足などではない。
この映画に込められたメッセージ性を感じれば文句の一つも出よう物ではない。
敵は、デジモンのアニメを思い出の鳥籠にしまっておきたい視聴者のように感じた。
蛇足と指摘したり、あのままでいいと、終わらなくていいという人たちだ。
それは決して悪ではない。
むしろ、作品が好きだからからこそ出る言葉かもしれない。
ただ、それはなにかの停滞だ。
視聴者の思い出かもしれないし、タイチたちかもしれない。
小さなことかもしれないし、誰かにとっては大きなことかもしれない。
僕はタイチたちに、ネバーランドで囚われた人たちのような未来を歩んで欲しくはない。
思い出に縛られず、己が選んだ未来を歩んでほしい。
思い出は、不安よりも近くに寄り添ってくれる温かみだ。
いずれにせよ、この映画によって誰かの何かが動き出したことは確かだ。

思い出に可能性を殺させるな

デジタルモンスターが、視聴者にとってのかつて経験した一夏の冒険、思い出の比喩に思えた。
無形な思い出の代弁者に僕は感じた。
僕は、ラストエボリューションのために全てのシリーズが布石であったようにさえ感じた。

butterflyがリリースされた1999年の4月はちょうど僕が生まれた年の生まれた月だ。ともに成長してきたのだと、これにも不思議な縁を感じた。凄まじく魅力的な歌で、まさに

無限大な夢の後の何もない世の中じゃ

そうさ愛しい想いも負けそうになるけど

Stayしがちなイメージだらけの

頼りない翼でも

きっと飛べるさ

on my love

上記butter-fly(和田光司)歌詞一部引用

この歌や和田光司さんがデジモンにもたらした影響は計り知れない。まさに今回の映画の内容は、butterflyの歌詞のように感じた。

無限大な夢は、キラキラしたあの頃の時間。終わって大人になった世の中では辛いこともあるけれど、不安で止まりがちな思考や頼りない足でも、きっとあの頃への愛があれば走り出せるさ。

そんな自己解釈をしてみた。

デジモン世代へ向けた映画だったなら、選ばれし子供達の年齢を30ほどにしろ、もっと年齢を上げて欲しかった、感情移入しにくかった、なんて評価が以外にも多く散見された。
本気か?と感じた。
物語の軸が少年の話、終わりを迎える話、思い出に囚われるな、そんな話だから年齢設定は間違いではないだろう。
デジモンと同時期に生まれた僕には、少なからず刺さったし、観る側の気持ちの問題だろう。

相手のパートナーデジモンの名前がモルフォモンなのはbutterflyから引用したのだろうか。
カラオケのバイトで勤務の際、部屋から聴こえてくる歌にbutterflyが若干歌われることが増えたことも理解できる。

憧れの作品だけど、僕は越えなきゃいけない。
やってみせるよ。

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