マリンメッセ福岡まで
キャナルシティ博多で葬儀屋のKOさん、AOさんと別れた後、事前に予約していたゲストハウスへと向かう。
なぜ、ここは止まるのかというと、もともとこの旅は、RADのライブに行く事から始まったとも言える。
企画が固まったのもかなり直前だし、47都道府県もヒッチハイクするかは、やるかやめるかかなり悩んだ。
絶対破綻する、と。
今のところ、やってよかったと胸を張って言ってやる。
18fesの友達がAAGTの福岡公演1日目を当てて、その同伴として誘ってもらった。
千葉公演2日目も同伴として参加させてもらっている。
RAD好きの横のつながりは、18fes参加者の役得だろうか。
結果、2回目となるが、ついていくことにした。
その時に、移動手段と宿泊するホテルについての話になった。
当初は、移動手段に夜行バス往復1万5000円、宿泊代に2泊3日1万5000円、ライブ代8900円、食費諸々代未知数。
これはやべぇ。
破産真っしぐらだしライブ行くだけで、無駄な出費が多すぎる気がした。
2泊なのは、ライブ後に福岡を観光したいという彼の提案だった。
僕の性分で、交通費、宿泊費を抑えて、上手いものを食べるお金に当てようと代案を立てた。
それが、ヒッチハイクだった。
宿泊費はゲストハウスにすれば、一泊1500円だったのでこちらに決めた。
二転三転して、最高に貧乏旅へと変貌してしまったツアー参戦に、快諾してくれた彼の懐の深さには感服するばかりだ。
実は、彼は僕よりも先にヒッチハイクをしていて、高校2年の時に、京都から鳥取までを経験している。
その時に泊まったゲストハウスで出会った女の子が、高校1年にしてヒッチハイクで福岡から鳥取まで1人で来たという。
この話を初めて聞いた時は顎が外れた。
それほど僕にとっては衝撃的な話で、僕を大阪東京間を往復する初めてのヒッチハイクへと駆り立てた。
彼は、その時の経験から世の中にはいろんな人がいることを感じたそうだ。
自分は高校2年でヒッチハイクをしている、珍しいだろう、と思っていたそうだが、高1ヒッチハイクガールと対峙して価値観が瓦解、崩壊したらしい。
それからというもの、彼は旅好きになり、僕が18切符で日本横断しているtweetを見て、会いたいと思っていてくれたそうだ。
僕も18fesの集合写真の模写をしていた時に、まさに18fesの象徴のような、未来に闘いを挑む若者のような、彼のやる気に満ちた表情と姿勢が写った写真のことを鮮明に覚えていて、初めて出会った時にすぐに彼だと思った。
今回のヒッチハイクで彼も色んな人と出会い、経験をしたり、させてもらったりしたそうだ。
いつか、聞かせてもらおう。
ヒッチハイクで2人合流し、遂にマリンメッセ福岡へ向かう。
もちろんバスで。