吹田SAの大便所が落書きでいっぱいだ。
少し前なら気が滅入ったかもしれないが、寺山修司がトイレの落書きは解放された人間の声が書いていて面白いということをのたまっていて、別の視点から見ることができてくすっときた。
さて、こないだ人生初ヒッチハイクを決め込んで、その内容もブログに起こしていない。
そのくせ、第二弾を敢行しているものだから由々しきことだ。
楽しかったし、もちろん辛いこともあった。
だから、文字として形に残しておこうと思うのだが、なにぶん長い。どう描こう、いつ書こうと、悩みのタネが生まれては忘れるを繰り返して、記憶の濁流に飲まれてしまっているのが現状だ。気づけば今。時間の尊さもまとめて気づかされる。
そこでだ。
今、書くことにした。このブログを書き終えた時ね。すぐ取り掛かる。
本当に沢山の人が、こんな惨めな僕に関わってくれたんだ。彼ら、彼女らが、僕に対して何を思っているのか、思ったのか、忘れたか、何も思わなかったか、それとも、
何か心に残ったか。
そんなことはもうわかんねぇ。わかんないんだ。
でも、やっぱり思うんだ。僕は何も持っていないとね。
お金も、地位も、名誉も、名声も、石油も、権限も、車も免許も持ってねぇ。
持ってるのは叶えていない夢と理想と山積みになった愚鈍な現実。無い無い尽くしの自分と向き合いたくないネガティブ相手どって、タイマン張るために底なしの前向きなポジティブを披露して道化気取ってなんとか心の均衡を保っているんだ。
世には弱虫と自嘲ぎみに言っているけど、芯は真っ直ぐで力強い方がいるものだ。
僕はかなり弱っちい。このまま30歳になった時のことを想像すると、毎日嘔吐しても足りないくらいに気分が悪い。
生きている意味がわからなくなる。
それでも、それでもに縋りたいんだ。
いつまでたっても弱虫でいられねぇ。
みんなの命が過ぎる前に、僕が曇り空を突き抜けて、才能の重力圏を超えて、絶望的と思える努力をこなして、週間少年ジャンプの作家になる。
楽しみにしといてください。