面と向かってより、画面と向かってが多かった少年時代。
今年9月にサービスを終了するオンラインゲームがある。
FPSゲームのサドンアタック、略称はSA、通称サドン。
このゲームを始めたのは当時10歳、確か10年前だったか。
後年は年単位の間隔を空けてのログインとなっていたが、半生を注いだゲームの一つだ。せっかくだし、10年の思いを綴ろうと思う。
もう、このゲームのプレイ年数が伸びることはないことが少し寂しいような気もする。
今しがた、サービス終了が決定の報を聞いて、一年ぶりにログインした。
(1年前も1年ぶりの夏だったはずだ。この時期は僕をサドンに引き寄せる魔物か何かがいるのだろうか。)
いざ、サーバー選択画面からステージ選択、ショップに行って、装備を整え、懐かしの戦場へ足を運んだ。耳に馴染みのある重厚なBGMが鼓膜を震わせる。
僕は懐古した。
まず、何故10歳のいたいけな小学生である僕が、このような物騒なゲームに手を出したかというと、兄の影響である。無論、兄の影響である。下の毛も生えていない、ケツが青い僕にとっての兄は、実家で黒船を乗り回すペリーだった。
すごい面白い世界が広がっている予感がしたのだ。遠くにいる、見ず知らずの人とゲームで戦って、会話をして、交流を深める。
ゲーム好きな僕にとって、ローカルな環境に閉じこもっていた僕にとって、サドンアタックやオンラインゲームは、広い世界への正門に見えたのだ。
そして、使用するアカウントだが、僕は兄のサブアカウント、お下がりを使うことになった。
今思うと、血は争えないのか、なかなかこじらせた名前をつけていた。
『劉生⭐️びゃっこ』
ちなみに兄は『鬱病⭐️びゃっこ』だったはずだ。
鬱病なのに⭐️じゃねぇよ。
めっちゃめちゃキラキラしてるやんけ。
めっちゃめちゃハピハピやんけ。
兄曰く、鬱病の由来は同じくプレイし始めた数人の同級生と、示し合わせてつけた共通の名前らしい。そういう、同じ部屋にいない同級生とゲームを楽しめる、遊べるところがオンラインゲームのくすぐらせるところだと思う。(びゃっこや劉生は、単純に格好いいからだという。やっぱりこじらてやがった。僕も相当だが。)
10歳の僕は、影から敵を狙い撃ち、後方からの厚い援護を送るスナイパーに憧れた。
でも、難しい。そこで、立ち回りを練習するには、ナイフ戦をすると良いと聞いた。
それから、スナイパーそっちのけで、ナイファーになってしまった。アサシンという称号を得るほどには熱中して敵を斬り続けていた小学生時代。
ナイフ戦では、銃撃戦にはない、肌と肌のぶつかり合い。もはや肉弾戦。そこに生まれるコミュニケーション。
称え合い、競い合い、罵倒しあった。
その手で握る獲物は、飾り気のないナイフ、長尺のナイフ、タイガーナイフ、マチェーテ。そして、僕の相棒の無骨なアックス。
一つ一つが思い出であった。
話の通じない人、同じことをマクロで繰り返し言う人、圧倒的な実力者、驕った人、煽り、チート、謙虚な人、優しい人、面白い人、いろんな人がいた。
何も学ぶことは無かったけど、学校のような、僕の人間形成に多大な影響を与えたゲームだった。
今となって思うことは、おかげで最近はましになったコミュニケーション能力のなさは、画面と向き合う時間があまりにも長すぎたからではないのかと思ってやまない。
だが、それも僕の人生の一部だ。
ナイフの技のようなもので、当てても一撃では倒せない左クリックに見せて、実は一撃で仕留められる右クリックを繰り出している『ずらし』があったことを思い出した。
通い詰めたウェアハウス、モンキーガーデン。
モンキーガーデンでは、占領をすればナイフしか使えないフィールドでハンドガンを手にして、戦況を有利に運べる。だから、ナイフが未熟だった頃や、その後もお気に入りだった。
ウェアハウスは始めた頃からよくお世話になっていた。マップが狭くて、敵とエンカウントしやすいから、敵を間合いに入れなければ倒せないナイファーにとって、なかなか戦いやすいフィールドだったのではないだろうか。
チームデスマッチでは、なかなかキルが取れず、無数の武器を試した後に、エイムが取りやすいK1に行き着いた。
だけど、やっぱり銃を扱うゲームなのに、あまりにも手にする武器がナイフだったり、格ゲーの感覚でマウスを握って、斧を振るっていた僕にはあまりに難しく、ずっと下手くそだった。
そこから、ただ戦うだけではなく、味付けとして占領モードを好んだ。ここならひたすらに倒されても、占領をすればチームに貢献した気になれた。
クラン戦もしたっけな。ナイファーなのに、銃のクランに入ったり、そこでK1持って駆け回ったよな。幼かった僕が、幼稚なことを言いつづけたせいで軽い口喧嘩をしたあいつは元気にしているだろうか。そのクランのマスターはどうしているだろう。知ろうとは全く思わないが、記憶に残っている出会いだった。
僕自身、ナイフクランを作ったな。
今となっては名前も忘れたが、当時仲良くしていた人に、俺も入るからかっこいい名前にしてよ!なんて言われた。
『伝説の白き幻獣』
血は争えない。
今となっては笑い飛ばせる話だが、その後、中学生になって、兄が一緒にプレイしていた同級生の1人の弟が、僕の同級生になるのだが、彼からひたすらに馬鹿にされた。
クソクランマスター、クソザコクラマス。
語彙力はやはり中坊だ。微笑ましい限りだ。
話は戻って、クランを作ったものの、ただのナイフ好きなガキにトップが務まるわけもなく、1人、また1人とクランから去っていった。
その度に、僕が実力に惚れていたナイフ使いに、何度も入ってもらって、抜けることが何度もあったけど、その都度、頼んでは入ってもらった。
彼がいたら、人がいなくなって、殺風景なクランも少しはマシに見えたような気がしたのだろう。本質は何も変わらないのにね。彼は、あの時のことをどう思っているのだろう。
しばらくして、僕のクランはほとんどログインしていないメンバーしかいなくなっていた。
最早どうしようもない気がして、本意ではなかった(恐らく)し、情けないが、冷めてしまった僕は全員脱退させた。クランはせっかく作ったからという、これまた幼稚な理由で僕だけをメンバーにして存続させた。
なんだか、個人事業主みたいで格好いい、みたいなうつつを抜かしていたのかもしれない。実態は、一銭の稼ぎもないただのニートだ。
結局、クランの役割を果たすことはなくなって、それも、しばらくしたら冷めて、また仲間を募ろうかと考えたが、結局潰した。
フリーになった僕は、また敵を斬り続けた。
ナイフ戦は、コミュニケーションが銃撃戦より盛んだ。それが高じてか、友達のような人はまぁまぁいた。知り合いの感覚、クラスのあいつ、隣の席の悪友のようなものだろうか。
そんな中に骨を埋めてると、同じ錆びついた斧を振り回して、バッタバッタと敵をなぎ倒す鬼のようなやつがいた。
長尺のナイフを相手どって、斧を振り回すと、相手は後ろに引いて、じわじわと長期戦に持ち込んで、斧の届かない範囲から攻撃を図る輩がいるものだ。(みんながみんなではないし、意識的ではなかったりするし、武器の利を活かすのは当然だ)
だから、同じ間合いで当たれば即死な斧使い同士の戦いは、どうしても燃えたし、親近感が湧いて独自の世界が広がっていた。
そして、あの鬼人だ。
僕もその頃の斧界隈では、そこそこ名が通っていたはずだが、敵チームのあいつは、他を圧倒して、長尺ナイフ使いも関係なく、コンテナの角で鉢合わせたら最後、生きて帰る者はいなかった。長尺ナイフ野郎も、あの斧魔人には一目を置いていたはずだ。
そいつと2人で、各ナイフ部屋で競い合った。
みんな長尺ナイフを扱う中、僕たち2人は、お互い唯一の斧使いで、鬼神の如く振り回して、それぞれがチームのトップを走った。
やつと対峙するとき、思わずにやけた。
やつもそうだったらいいな。
キル数が群を抜いている時の無敵な感覚、奴も図抜けたキル数の時、斧の力を存分にひけらかす感覚。うちの子はこんなにも優秀な武器なんですよ!と雄弁と語っているような感覚。
今も脳みそにこびりついている。
斧魔人とのタイマンが好きだった。
やってやられての一進一退の殺陣のようで、まさに異世界にいるようだった。
一人称視点だから、本当にその世界に没入していようだった。
後々、彼と話をすると、再三口にしていたことが
『びゃっこは苦手、天敵』
そう、彼は言った。
その事が、なんだか嬉しかった。
彼は、元気にしてるだろうか。
なぜ
あの時、このゲームにそれほど魅了されたのか。どうして、日曜日なのに人がこれだけ減ったのか。今の未熟な僕だけど、かつて熱中させられたゲームについて考えを馳せた。
魅了された理由(個人的な理由が多々)
1.初めてのオンラインゲーム
遠くの人とゲームをすることの楽しさたるや、小学生のぼくには、さながら兄という黒船から異文化に触れて、周りとは違うことをしているカタルシスを厳然と感じていたのかもしれない。
2.無料オンラインFPSなのに様々な楽しみ方があった
このゲームの特筆すべき点は、遠くの人と無料でFPSゲームが出来たことだろうか。
これに関しては、他にもCSOやPS3が台頭していたはずだが、オンライン環境が整っていなかったり、ハードがなかったり、CSOではなくて、たまたまサドンをしていたという偶然が重なった結果でもあるとは思う。
だけど、後々PS3をするようになっても、このサービスを利用していたあたり、結局このゲームだからプレイするという価値があったのだろう。
小学生の頃のぼくは、新マップがアップデートされたり、たくさんのモードがあったし、縛りを設けて戦ったり、敵同士で愉快にマップを巡ったり、殺しあうことなく平和に遊んだり、談笑して爆笑したり、民度は決して高くなくても、アングラな雰囲気が居心地よくて、何よりも色んな人がいたことが楽しかった所以だろうか。
当時、お金を払ってゲームセンターやショッピングモール、ボウリングやカラオケに行くくらいなら、金のない自分は家で戦う方がよっぽど楽しかったと思ったのだろう。
わからんでもない。
これが後々、人の気持ちが理解できない僕というカスが誕生することになるとは知る由もないのだが。
今は、人の気持ちを理解しようと、少しは努力していると思う。
当時、このゲームをしていなかった方の兄が、リア友という言葉をぼくが口にするのを聞いて、毛嫌いしている空気、表情を感じ取ったことがあった。何か言っていたかもしれないが、もう忘れた。
きっと、彼は人と人との繋がりは面と向かって作るべきだということなのだろうか。
わからんでもない。
なによりその結果、僕のような、人の気持ちがわからない化け物が生まれたと言っても過言ではないからだ。
だけど、そのときにぼくは、色んな考えがあってもいいと思うが、どの世界においても、その世界のことを知らずに、一方的に嫌悪しないでおこうという意識をなるべくするようにした。
なににおいても、いい面があれば、悪い面もある、表裏一体なものが多数だと思うからだ。
3.非現実感
どのゲームでも言えることなのかもしれないし、非現実感という言葉の、ニートまっしぐらと言わんばかりの字面の破壊力は半端なものではない。
これは、個人的な考えだが、一人称視点の主観でナイフで敵をなぎ倒すと、それなりに主人公感があって爽快なのだ。
文字通り、そんな別次元に片足を置いたまま中学生に上がったぼくは、部活と塾でSAをする時間をなんとか捻出しようとしたが、それも難しくて、家庭訪問の日に、先生に遊ぶ時間がないなんて相談をしたことがあったね。
先生からしたら、知ったこっちゃないだろうな。
先生、時空を超えて謝ります。ごめんなさい。
過疎の理由
1.他の娯楽の台頭
これは漫画やテレビ、どの娯楽を提供する業界にも共通すると思うが、やはりこれはあるのではないか。
ぼくは、この手の専門家でも、見聞が広いわけでもなんでもないが、そんな素人、情弱の耳にも入る、そう思わせる時代なのだと思うと、サドンの過疎化は来るべくしてきたような気もする。
2.あまり変化がない
それをして、どうなるかはさておき。
経費だのなんだのは、僕の知るところではないが、莫大な赤字になっても面白いことを考えて、実行していたら、どういったサービスができたのだろうと夢想する。
一年ぶりにログインして思ったことは、目新しさ、秀でた部分、初期のサドンには無かったと思う要素がないのではないだろうか。
たしかに、課金キャラやマップは比べ物にならないほど増えたと思うが、それらも需要がなければ、無用の長物なのではないだろうか。
一ユーザーとして感じたことは、別の要素に挑戦したり、解像度を強化されていたら、全く新鮮な気持ちでプレイできたのではないかと思う。
サドンの売りはオンラインでの銃撃戦だろう。もちろん、テコ入れなり、新しい挑戦をするにしても、この軸がブレるのは論外だと思う。
だから、賛否両論はあると思うが、僕はSAとしては新しい風が吹いたような気がしたヴァンパイアモードが好きだった。
銃要素もありつつ、ただ新マップや武器が増えたというわけでは無かったあのワクワク感が好きだった。実際、僕は面白いと思っていたし、今回のログインでもプレイした。
そういった新要素があれば、何か印象が変わったのかもしれない。印象は変わらないのに、あるいは、変わらないから人は減っていったのかと思った。
例えば、スマブラも64のときは戦うだけだったが、DXではイベントがこなせたり、Xでは亜空の使者というストーリー要素まで任天堂は持ってきた。
サドンにも裏設定のようなものがあるのだから、それをもっと前面に押し出せばよかったのではなかろうかと思う。
何が今回の結果につながったのかは知らない上で、こうしてあーだこーだ文を連ねたが、僕という1ユーザーはこう思った。
僕の伝えた考えは、僕個人の考えだ
100人のユーザーがいたら、ほかの99人は別の考えを持っているかもしれない。
SAから離れて結構な日が経つはずだ。
本垢である劉生⭐️びゃっこのパスワードもメールアドレスも忘れた。
もうびゃっこにはなれなかったのだが、サービス終了にあたり、名実ともに伝説の白き幻獣は死ぬ、
今もなお未熟な僕だが、SAを離れてからは、よりほかの世界を経験した。
音楽にも触れたし、僕なりに絵を描き始めたし、ジャンプ作家を志したし、高校で建築を学んで、応援団もした。専門学校に行って、アニメの製作の世界に少しだけ触れた。
未来を想像した
3つバイトを掛け持ちして、平日は夕勤行って、そのバイト先でもらった冷たい飯を、その後、別のバイト先の雑居ビルの裏階段、冷たいコンクリートの上で喰らって、夜勤で朝帰り。
5連勤の後、6連勤目の土曜日は、夜勤の後に朝帰りをせず、そのまま3つ目のバイト付近の公園のベンチで、1時間半座って仮眠をとって働いた。
家に着いた時間はその日の21時。その金曜から土曜は、24時間を外で働いていて、その次の日の休みの日曜日に発熱して、1日寝込んで、回復して、また働いて帰って寝るの生活。
日本を18切符を使って横断もしたし、18fesで日本全国の同世代と話をした。
本も曲がりなりに読むようになった。
今、頭にある目標の数々は、きっとSAをしているだけでは思い浮かべることもなかっただろう。
SAをしている時間以外で手に入れた大切な思い出たち、仲間たち、経験たちのおかげだ。
だからこそ、SAに対して、別の見方ができたと思っているし、それで良かったと切に思っている。
最近、死を意識するようになった
時間を考えるようになった。
久しぶりにログインして思ったことは、あの時の僕はとても贅沢に時間を使っていたのだと思った。
久しぶりにログインして思ったことは、キルを稼いでも、勝っても虚しいだけだった。
その日、買った分のポイントの元を取ることに躍起になって、時間をかけてプレイをしていた時のことを思い出した。
時間をかけたからこそ、なにかの気晴らし、憂さ晴らし、鬱蒼とした現実の暗闇を晴らした気になったのかもしれない。
でも、何も変わらないし、変わらないことが気持ちよかったのかもしれない。
だけど、かなりの時間をSAから離れていた僕は、当時の僕では考えないようなことを考えたり、少しばかり変化したものの見方をするようにはなったようだ。まだまだ、甘い見識だけどね。
いつかは死ぬことを思うと、もっと無数の物の見方ができるようになって、考えられるようになって、何か些細なものでも残して、僕は天寿を全うする。
終わりに
かなり長々と、好き放題書いたものだし、後半はディスや揶揄、アイロニーのように聞こえる箇所もあるかもしれないが、あくまでも、僕はこのゲームが大好きで、リスペクトしているから、敢えてこういう風に表現している。
これから、サドンアタックの第2弾のように、別の形でサービス開始を発表されても、僕はすることはないと思う。
それは、僕の環境や心境の変化が大きい。
僕は僕のやるべきことをこなしていくからね。
それでも、いつまでもSAのような娯楽はあってもいいと思うし、一時代を築いたと僕は思っているし、僕という人間の一つの価値基準を構築した環境だった。
だから、ネクソンで遊びを提供している運営の方は、尊敬しているし、一種の感謝のようなものも芽生えている。
今の時代、ゲームの種類も機能も飽和しているという見方もあるのだろうか。今の僕には想像もつかない大変さがあると思うが、ネクソンにはゲーム業界の第一線で戦っていてほしいと心から願っている。
考えること
音楽においても、漫画においても、小説においても、詩においても、客商売においても、オンラインサービスにおいても、ブログにおいても、伝えたいことが無ければただの無なのではなかろうか。
何か形があっても、ただのがらんどうで、形骸的な無機質なものなのではなかろうか。
手塚治虫も言っていた、メッセージ性のない、伝えたいことのない漫画はただの絵だと。
これが面白い!これを伝えたい!これどう思う!?といったその作者の、作り手の、思考が感じられるような作品、伝えたいものが伝わる作品、それを作ろうという意識や気概をもって取り組むことが、普遍的なものづくりへの第一歩となるのではなかろうか。
僕はいつか、もっと面白いサービスを提供してみたいと思う。
このゲームを通して唯一出来た目標だ。
20歳になってすぐのこの時期に、サドンアタックがサービスを終える。
永遠だと思っていたことが、終わりへの航路をたゆたうのを見るたびに思う。
あぁ、これが僕の行く末かと。
いづれ、僕も錆びついて、いつかはくたばるのだと。
この出来事は、僕に前を向けと、誰かがそう囁いているように感じた。
ただ、前を見て進む。
これが、僕のやり方だ。
あのゲームには、バカなプレイヤーも面白いプレイヤーもいた。
そんなサドンアタックが僕は大好きだった。
ありがとう、サドンアタック 。
そして、ここまで読んでくれた猛者。
ありがとう。
これからも、よろしく。
僕はまず、週間少年ジャンプでの連載を得て、ヒットを飛ばそうと思う。
今年の夏、7月末までに、31Pの作品を一本描くぞ。
それを集英社に持ち込みをする。
今、やろう。